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  • 8 Mar 2021

    アストンマーティン、フォーミュラ1®のオフィシャル・セーフティーカーに選定

    ​ アストンマーティンのスポーツカー、Vantageをベースにした車両がフォーミュラ1®のオフィシャル・セーフティーカーに選定 アストンマーティンDBXはフォーミュラ1の®オフィシャル・メディカルカーに決定 両モデルともに、3月12日から14日までバーレーンで開催されるプレシーズン・テストでデビュー アストンマーティン・レーシングの成功の軌跡がセーフティーカーの開発に貢献 2021年3月8日、ゲイドン(英国): 今月末、ついにアストンマーティンがFIAフォーミュラ1世界選手権®の舞台に復帰します。開幕戦のガルフエア・バーレーン・グランプリのスターティング・グリッドに並ぶのは2台のレースカーだけではありません。フォーミュラ1®の歴史において初めて、ウイングマークで有名なこの英国のラグジュアリーブランドが製造する車両が、オフィシャル・セーフティーカーおよびメディカルカーに選定されました。   このセーフティーカーは、世界最速のレーシングカーが走るF1レースにおいて、必要に応じて介入を行い、ペースをコントロールするというきわめて重要な役割を担います。そのため、製品ラインナップ中でもっともパワフルなアストンマーティンVantageをベースとして特別仕様車が開発されました。英国ゲイドンのアストンマーティン本社に在籍する、経験豊かなチームが開発したこの車両は、シャシーと空力性能に大きな改良が加えられています。FIAが定めた規格に準拠させるため、さらに数カ所の変更が加えられたこのセーフティーカーは、Vantageのパフォーマンスを限界まで引き上げています。   アストンマーティン初のSUVとしてきわめて高い評価を受けているDBXは、フォーミュラ1®のオフィシャル・メディカルカーに選ばれました。これにより、緊急事態が発生した場合、そのパワーとハンドリング性能をフルに発揮して医療チームを現場に急行させることができます。   アストンマーティンVantage - フォーミュラ1®オフィシャル・セーフティーカー フォーミュラ1のセーフティーカーを担当して20年以上の経験を持つFIA指定ドライバー、ベルント・マイレンダー(独)がステアリングを握るこのアストンマーティンは、レース中つねにピットレーンで待機しています。   悪天候や事故発生時、セーフティーカーはレースコントロール担当者の判断によってサーキットに導入されます。かつてレースに参戦していた経歴を持つドライバーのベルント・マイレンダーとコ・ドライバーのリチャード・ダーカー(英)がセーフティーカーを運転してレースカーの先頭に立つと、各車のペースをコントロールして事態の解決を待ち、またサーキット・オフィシャルの安全な事故対応を可能にします。   F1®マシンは、理想的ではない低速走行が続くとタイヤの温度が下がってしまうため、オフィシャル・セーフティーカーもまた速いラップでサーキットを走行できなくてはなりません。アストンマーティン・ラゴンダ最高経営責任者(CEO)のトビアス・ムアースは、その要件をもとにエンジニアリングチームに指示を出し、スポーティなVantageのサーキット・パフォーマンス向上とラップタイム短縮に取り組みました。   その結果、出力は25PS向上して535PSを達成。搭載されているのは排気量4.0リッターのツインターボ V8エンジンで、0~60mph(約96km/h)の加速はわずか3.5秒と圧倒的な性能を発揮します。685Nmの最大トルクに変化はありませんが発生域はさらに広くなり、トランスミッションを改良したことで、アップシフト時、ダウンシフト時の両方でダイレクト感、精度およびコントロール性能が向上しました。ベーングリルと新しいフロント・スプリッターを組み合わせることで、200km/h 走行時に155.6kgのダウンフォースを発生します。これは、量産バージョンのVantageが同じ速度で発生する値を60kg以上も上回っています。サスペンション、ステアリング、ダンパーなどにも改良が施され、さらにアンダーボディのブレーシングも細部にわたって手直しが行われ、構造剛性も向上しています。車両全周にエアロキットを装着し、ロープロファイル・タイヤを装着するアストンマーティンVantageオフィシャル・セーフティーカーは、F1®マシンが走るサーキットで活躍する資格を完璧に備えています。   アストンマーティンはスポーツカー・レースの世界において輝かしい業績を残しています。昨年はル・マン24時間レースの複数クラスでタイトルを手中に収め、FIA世界耐久選手権でマニュファクチャラー・チャンピオンを獲得しました。これらの成功からフィードバックされた技術的な進化は、フォーミュラ1®で使われるセーフティーカーに搭載されるシステムにも貢献しています。セーフティーカーが持つ独自の要件では、トップスピードからクールダウン・ラップなしにピットレーンでのアイドリング状態に戻ることができなければなりません。そのため、信頼性が高く堅牢な熱管理システムが非常に重要な要素となります。数多くの栄冠を手にしてきたVantage GT4レースカーに使われ、極限状況および過酷な温度環境下での性能が証明された冷却システムを備えたアストンマーティンは、そのテクノロジーをセーフティーカーにも採用しています。ボンネットには、冷却効率をさらに高めるためにエアベントが追加されました。   Vantage市販車が装着するピレリ製ロードタイヤと組み合わせて、高性能なカーボンセラミック・ブレーキがセーフティーカーにも搭載され、フロントグリルには外から見えない位置にブレーキダクトが追加され、冷却性能を高めてあります。   セーフティーカーの外装は、2021アストンマーティン・レーシンググリーンを纏ったアストンマーティン・コグニザント・フォーミュラ1®チームのマシンからヒントを得たもので、60年にわたるブランクを経てフォーミュラ1®の世界へと戻ってきたことを記念して特別に開発されました。セーフティーカーのフロント・スプリッターは「ライム・エッセンス」のピンストライプがハイライトとなります。このカラーはレースの血統を物語るもので、最近では FIA世界耐久選手権(WEC)に参戦して、素晴らしい結果を残したVantageが採用していたものです。フォーミュラ1®のオフィシャル・セーフティーカーが採用する他の特徴とは、FIAセーフティーカー専用のグラフィック、ボディサイドにマウントした無線アンテナ、LEDリア・ナンバープレート、そしてアストンマーティンが手がけたルーフマウント式のカスタムLEDライトバーなどがあります。   このライトバーは、ルーフラインよりも高い位置にあるカーボンファイバー台座に据えられます。プロフィールはエアロダイナミクスを念頭においたもので空気抵抗は最小に抑えられ、エアフローを整えて大型リアウイングへと導くように設計されています。このオフィシャル・セーフティーカーがサーキットに導入される際には、鮮やかなオレンジがライトバーの外周部に点灯します。レースリーダーのマシンの前に到達したら、中央部にある黄色いライトが点滅して全面的な追い越し禁止を示します。安全が確保されてレースが再開となった場合は、中央部に2つ設置されたグリーンのライトが点灯します。また、ヘッドライトとテールライトも点滅して、セーフティーカーの安全なコース進入をサポートします。リアのナンバープレートはLED照明によってSAFETY CARの文字が浮かび上がり、あらゆる天候条件で後方から明確に視認することができます。ライトバーには後方用カメラも設置されていて、ライブ画像を室内に設置された2番目のバックミラーに送り、コ・ドライバーが後方のマシンの動きを監視できるようになっています。   車内を見ると、市販車用のシートは、FIA認証のレーシングシートに交換され、F1®マシンと同じ6点式ハーネスを装備しています。ダッシュボードには2つの画面が取り付けられており、ドライバーとコ・ドライバーに対してライブのテレビ映像と、最新のラップタイムや走行する車両の位置などのカスタマイズ可能な情報が提供されます。センターコンソールもまた、大幅に変更されています。ロータリー・ダイヤルはカップホルダーの位置まで移動され、空いた場所にはサイレンの起動、無線通信、ライトバーのLED制御といったさまざまな作動を制御するスイッチ・コントロール・システムが設置されます。インストルメント・クラスターとダッシュボードには「マーシャリング・システム」が統合され、ドライバーとコ・ドライバーはサーキット上で何色のフラッグが出されているかLEDの色で判断することが可能となっています。これは、F1®マシンに搭載が義務づけられているシステムと同じものです。車両の最上部と車内にはTVカメラが設置され、テレビのライブ放送を受信することができます。   セーフティーカーのドライバーであるベルント・マイレンダーは、次のようにコメントしています。「世界中のフォーミュラ1®ファンは私と同様、アストンマーティンがサーキットに戻ってくることを喜んでいます。このオフィシャル・セーフティーカーは美しく、高いパフォーマンスを備えたクルマであり、アストンマーティンのエキサイティングな新時代を示すものです。」   アストンマーティンDBX - フォーミュラ1®のオフィシャル・メディカルカー 2021年のフォーミュラ1®オフィシャル・メディカルカーの一翼を担うのは、アラン・ヴァン・デル・メルヴェ(南アフリカ出身の41歳)が運転するアストンマーティンDBXです。セーフティーカーと同様、メディカルカーもライム・グリーンのアクセントを配した2021アストンマーティン・レーシンググリーンを纏っています。他の特徴としては、FIAメディカルカー専用グラフィック、LEDリア・ナンバープレート、ルーフレールに装着したLEDライトバーなどが挙げられます。   DB11やVantageにも搭載される排気量4.0リッターのツインターボV8エンジンは、550PSの最高出力と700Nmの最大トルクを発生し、0~100km/h加速は4.5秒、最高速度は291km/hに達します。これらの要素により、FIA医療チームは緊急事態に迅速に対応することができます。アストンマーティンならではのサウンドを奏でるアクティブ・エキゾースト・システムにより、DBXは外見ばかりでなくサウンド面でも存在感を発揮します。   フォーミュラ1®のオフィシャル・メディカルカーには大型の医療バッグ、AED(自動体外式除細動器)、消火器2台、火傷対応キットなどといった大量の装備類を搭載しなければなりませんが、632リットルのトランクスペースを備えたDBXは、十分な余裕があります。   インテリアのトリムは基本的に市販車両から変更はありませんが、リアシート中央席は除去されて4人乗りとなり、それぞれの位置に6ポイントのセーフティー・ハーネスを備えたスポーツ・バケットシートが装着されます。運転席にはアラン・ヴァン・デル・メルヴェ、残りの席にはFIAフォーミュラ1®メディカル・レスポンス・コーディネーターであるDr. [...]
  • 10 Dec 2020

    ファイティングスピリット:アストンマーティンによるグランプリレース参戦の歴史

    アストンマーティンが、2021年に60年を超える沈黙を破ってF1™世界選手権に復帰 スポーツカーレースで素晴らしい戦績を残し、世界に知られるアストンマーティは、グランプリシーンの歴史においても数多くのストーリーで有名 80年以上にわたるレーシング・プログラムには、ライオネル・マーティン、ルイ・ズボロウスキー伯爵、クライブ・ギャロップ、'ジョック'ホースフォール、ジョン・ワイヤー、ロイ・サルヴァドーリ、キャロル・シェルビーといった伝説的人物が名を連ねる
    2020年12月9日、ゲイドン(英国):
    アストンマーティンは、スポーツカーレースにおける数多くの成功で広く世界にその名を知られています。ル・マン24時間レースでの完全勝利、ニュルブルクリンク1,000kmレースでの3連覇など、アストンマーティンは、1959年の世界スポーツカー選手権でチャンピオンの座を獲得しました。アストンマーティンは、1931年のル・マン24時間レースで複数のクラス優勝を成し遂げて以来、さまざまな成功を記録し、今シーズンの世界耐久選手権(WEC)でも、ドライバーとマニュファクチャラー部門のダブル・タイトルを獲得しました。特に耐久レースでは、長年にわたる数々のクラス優勝により、偉大なブランドの一つとしてその名が刻まれています。
     
    その一方で、アストンマーティンがスポンサーとなったヨーロッパ・グランプリやその後のF1™プログラムは、スポーツカーレースほど知られていないようです。知名度では劣るとはいえ、その活動の歴史は、注目に値するものがあります。アストンマーティンは、1913年にライオネル・マーティンとロバート・バンフォードがロンドンに小さなワークショップを開設して以来、107年の歴史を紡いできました。世界最高峰のモータースポーツに参戦することは、アストンマーティンの哲学やアイデンティティと切っても切れない関係にあります。
     
    そして今回、英国を代表するラグジュアリー・ブランドは、60年を超える沈黙を破って、F1™世界選手権に復帰する準備を進めています。これは、世界でもっとも過酷なモータースポーツで戦ってきたアストンマーティンにとって、その歴史を振り返る絶好の機会でもあります。
     
    1920年代
    アストンマーティンの共同創設者であるライオネル・マーティンは、まだ誕生したばかりのこのスポーツカー・メーカーの指揮をとっていた初期の頃から、パートナーのロバート・バンフォードとともに、グランプリレースに参戦して、名声を得ることを夢見ていました。
     
    アストンマーティンは、英国のヒルクライムレースで頭角を現し、ライオネル自身もレーサーとして自ら製作したマシンのステアリングを握りました。特にグランプリレースで卓越したパフォーマンスを披露し、ヨーロッパに自身の名とアストンマーティンの名を轟かせました。
     
    「狂騒の20年代」が始まる頃、マーティンは、才能溢れる若きレーシングドライバー、ルイス・ズボロウスキー伯爵を紹介され、レースにおけるアストンマーティンの夢が現実に向かって大きく動き出します。裕福なポーランド貴族であるズボロウスキー伯爵と米国人女性の相続人は、飽くなきスピードへの情熱を持っていました。
     
    億万長者であったズボロウスキーには、自由に使える資金を豊富に持っていただけでなく、ドライバーとして、アストンマーティンの初期型サイドバルブ・オープンホイール・レーサーを熟知していいたため、同時に2台のレーシングマシンの製作をアストンマーティンに依頼して、レースの世界へと乗り出します。
     
    その後、ライオネル・マーティン率いるチームとズボロウスキーは、1922年のマン島TT(ツーリスト・トロフィー)に参戦すべく、新たに2台のマシンを製作する計画を立てました。ズボロウスキーは、このプロジェクトに約10,000ポンド(当時の"ひと財産")を投入して、マシンだけでなく、完全に新しい16バルブDOHC 4気筒レーシングエンジンの開発も行いました。
     
    アストンマーティンの初代グランプリカーには、このようにして開発された1,486ccユニットが搭載されました。エンジンの最高出力は約55bhp/4,200rpmでした。車両重量は750kg、最高速度は85mph(約136km/h)を誇りました。2座のシートが装着されていたのは、当時のレギュレーションに従って、ライディングメカニックを乗せるためでした。ライディングメカニックは、メカニックとしての仕事だけでなく、ハンドポンプを使用して燃料タンクに圧力をかける役割も果たしていました。
     
    信じられないことに、当時のレーシングチームは、レースが開催される会場まで、マシンを自走させていました。
     
    アストンマーティンと同様に、エンジン自体にも注目に値するストーリーがあります。アストンマーティンは、1922年まで複数年にわたってこのエンジンを製作し、大きな成功を手にしました。するとライバル勢(プジョー、ブガッティ、A.L.F.A.など)は、レースおよびスピードレコード用に大排気量の16バルブ・パワーユニットを新開発し、英国ブランドに対抗しようとしました。アストンマーティン・パワープラント創世記には、さまざまな逸話が散りばめられています。
     
    ズボロウスキー伯爵には、クライブ・ギャロップという良き友人であり、ライバルがいました。ギャロップは、プジョーのエンジニアであるマルセル・グレミヨンの知り合いでもありました。この才能溢れるフランス人エンジニアは、その当時、フランスの自動車メーカー、バロットで仕事をしていた偉大なエンジンデザイナー、アーネスト・ヘンリーの弟子でした。
     
    グレミヨンは、ヘンリーに3.0リッター・バロット・エンジンの詳細を教えくれるように頼みました。ヘンリーは、ただ図面をふたつに引き裂いただけでしたが、グレミヨンはこの図面にバンフォード&マーティンのシングルカム、16バルブエンジンの下半分を繋ぎ合わせました。これが大きな宝をもたらすことになります。
     
    引き裂かれた図面を基にヘンリーが開発した3.0リッター・ユニットは、バンフォード&マーティン 1.5リッター SOHC 16バルブエンジンへとその姿を変えました。
     
    グランプリデビュー
    アストンマーティンは、TT1、TT2と呼ばれるレーシングマシンを開発して、1922年6月22日のマン島TTに参戦する予定でしたが、準備が間に合いませんでした。そこで、日程を変更して、7月15日にストラスブールで開催される2.0リッター・フランスGPに照準を合わせ直しました。そして、このイベントが、アストンマーティンにとってグランプリレースへのデビュー戦となりました。
     
    TT1のステアリングはズボロウスキーが握り、その隣にはレン・マーティン(ライオネルとの血縁はない)がメカニックとして乗り込みました。TT2のクルーは、ドライバーにギャロップ、メカニックにH.J. ベントレー(自動車メーカーのベントレーとは無関係)という布陣でした。
     
    しかし、彼らが開発したエンジンは排気量が小さく、ライバルと比較してパワー不足は否めませんでした。さらに、早急な開発作業に加え、バラストの搭載が義務づけられたために、2台ともエンジントラブルでリタイアを喫しています。しかし、このレースでのリタイアは、まだ船出したばかりのチームにとって、非常に良い経験となりました。ケンジントンのアビンドンロードに本拠を構えるチームは、このようにしてグランプリ・アドベンチャーの第一歩を踏み出しました。
     
    TTは、当初こそ開発不足を露呈したものの、その後に熟成され、ヴィラフランカ・サーキットで開催された1922年のペーニャ・ラインGPで2位に入るなど、複数のレースで表彰台を獲得しています。チームは、その翌年に開催されたペーニャ・ラインGPでも2位でフィニッシュし、同年のブローニュGPでは3位でチェッカーを受けています。
     
    1924年、ズボロウスキーがレース中のアクシデントにより命を落とします。彼の早すぎる死により、エースドライバーを失ったアストンマーティンの第1期レースプログラムが終焉を迎えることになります。アストンマーティンのレーシングマシンを使用したプライベートチームは、数多くの成功を収めていましたが、アストンマーティンが本格的にグランプリシーンに復帰するまでには、20年の歳月が流れることになります。
     
    1940年代
    1946年ベルギー・スポーツカーGPは、最高峰クラスのレースではなかったものの、アストンマーティンのレーシング・ヒストリーを語る上で欠かせない戦いとなりました。
     
    戦後間もない時期のモータースポーツは、今日における絶え間ないテクノロジー開発競争と比べると、比較的穏やかな時代でした。特に、第二次世界大戦終了直後のレーシングマシンは、当然のことながら、その多くのマシンが完全な新設計ではありませんでした。
     
    戦前に製作されたアストンマーティン“スピード・モデル”も十分に現役として通用したため、1936年型アストンマーティン 2.0リッター・スポーツカーが、ブリュッセル近郊のボワ・ドゥ・ラ・カンブルのロードコースで1946年6月16日に開催されたベルギー・スポーツカーGPに参戦したことも驚くには値しません。
     
    そのうち1台には、アストンマーティン・モータースポーツ史の中でも異彩を放つドライバー、セントジョン・ラトクリフ・スチュワート・ホースフォール(通称'ジョック'ホースフォール)がステアリングを握っていました。
     
    裕福な家庭の6人兄弟のひとりとして生を受けたジョックは、幼いころから自動車に興味を示し、1934年に、24歳で自身初のアストンマーティンを購入しました。株式ブローカーとしても成功していた彼は、すぐにアストンマーティン“ファミリー”の一員となり、開発やテストを通じてブランドを支援しました。
     
    彼は、戦時中はMI5で働き、MI5の職員やエージェント、ダブルエージェント、あるいは囚われの身となった敵のスパイを乗せて、MI5の公用車を運転したこともある異色の経歴の持ち主です。彼は極度の近視のうえに乱視も抱えていたにもかかわらず、視力を矯正するために眼鏡をかけることを嫌っていました。
     
    ジョックは、海軍および空軍施設のセキュリティ・テストにも関わっており、機密情報にも精通していました。彼にとってもっとも“シークレットな”活動は、オペレーション・ミンスミート(挽肉作戦)(1943年、枢軸国を欺いて、連合国軍がシチリアに侵入した軍事作戦)において、ドライバーを務めたことです。
     
    興味深いことに、この極秘任務は、1939年に海軍諜報部門責任者を務めたジョン・ゴッドフレイ少将と彼の個人秘書であったイアン・フレミング少佐が詳細にわたってメモに記した、敵軍欺瞞戦略を基にしたと言われています。
     
    戦後に開催されたベルギー・スポーツカーGPでは、このレースに参戦したフレイザー・ナッシュ、BMW、アルヴィスといったライバルメーカーを抑えて、ジョックが真っ先にチェッカーを受けました。これは、アストンマーティンの“ビンテージ”マシンが記録した、注目すべき勝利となりました。
     
    ジョックのマシンには、1,950ccの4気筒OHCエンジンが搭載されていました。最高出力は約125bhp、マシンの重量は約800kgでした。“アルスター・スタイル”のオープンボディ、2シーター、セパレート・ウィングを備えたこのマシンは、120mph(約186km/h)の最高速度を誇りました。
     
    しかし、ベルギーでの勝利は、ホールフォールにとって最高の栄誉ではありませんでした。それから3年後、彼は1949年のスパ24時間レースにプライベート参戦し、アストンマーティン・スピード・モデルでクラス2位、総合4位に輝いています。この業績を際立たせているのは、控えドライバーのポール・フレールがいたにもかかわらず、ホールフォールはひとりで24時間を走り切ったことです。
     
    しかし、ホールフォールは、このレースからわずか4週間後、英国のシルバーストーンで開催された1949年BRDCトロフィーでレーシング・アクシデントに見舞われ、この世を去りました。アストンマーティン・オーナーやエンスージアストの中でも群を抜く彼の偉業を記念して、アストン・マーティン・オーナーズ・クラブは、彼の記憶を後世へと残すため、セントジョン・ホースフォール・メモリアル・トロフィーを毎年開催しています。
     
    1950年代
    1950年代は、アストンマーティンにとってエキサイティングな時期となりました。1947年にアストンマーティンを買収し、同年にラゴンダ・ブランドを追加したデイヴィッド・ブラウン卿は、英国流スポーツカーを着実に開発、その魅力を大いにアピールすることに成功しました。
     
    デイビッド卿は、アストンマーティンの商業的な成功にはモータースポーツが重要であると認識し、1955年に、世界スポーツカー選手権だけでなく、当時はまだ新しいカテゴリーだったF1世界選手権でも優勝することができるマシンを作るという野心的な計画を立てました。
     
    アストンマーティンの歴史を振り返ると、ル・マンを制したDBR1やその後継マシンであるDBR3Sに注目が集まりますが、初期のシングルシーターであるDP155によるプログラムは、アストンマーティンにとって貴重な学習の場となり、50年代後半のGPマシンの開発に繋がっています。このプログラムと並行して、デイビッド卿は、新しいエンジンや新しいロードカー開発にも着手し、DB4が誕生しました。
     
    その後、レーシングカーのアストンマーティンDBR4が開発されます。このマシンは、1957年にテストが開始されたものの、デビュー戦は1959年のBRDCインターナショナル・トロフィーとなりました。同イベントは、F1のレギュレーションに則って、同年5月のシルバーストーンで開催されました。
     
    このレースには、2台のアストンマーティンが参戦し、ロイ・サルバトーリがル・マン24時間レースでドライブしたカーナンバー1が、ジャック・ブラバムのクーパー・クライマックスT51に次ぐ2位でチェッカーを受けています。2,493cc、6気筒、ドライサンプのRB 250エンジンは、DBR1スポーツカー・エンジンと同一の基本デザインを採用していました。このパワーユニットを搭載するDBR4/250は、スペースフレーム・シャシーのシングルシーターで、最高出力は256bhp、車両重量は575kgでした。
     
    サルヴァドーリやキャロル・シェルビーなど、スタードライバーがステアリングを握ったものの、フロントエンジンのDBR4は、最新ミッドシップのライバルマシンの後塵を拝するしかなく、DBR1がスポーツカー・シーンで見せたような成功をF1で再現することはできませんでした。後継マシンのDBR5もデビュー戦で成果を収めることができず、アストンマーティンは、1960年にシングルシーターの最高峰クラスから撤退しました。
     
    2010年代
    近年のアストンマーティンは、50年にも及ぶブランクを経て、レッドブル・レーシングのタイトルスポンサー兼テクニカル・パートナーとしてGPシーンに復帰しました。両社のパートナーシップはさらに発展し、驚異のハイパーカー、アストンマーティンValkyrie(ヴァルキリー)として結実しました。このハイパーカーは、2021年から生産が開始される予定です。
     
    英国のラグジュアリー・ブランドは、アストンマーティンF1™チームとして、2021年シーズンからの参戦に向けて忙しく準備作業を続けています。60年以上の歳月を経てF1™レースに復帰するアストンマーティンは、創設者のイオネル・マーティンとロバート・バンフォードによって生み出された遺産を未来へと継承します。
     
    アストンマーティン取締役会会長のローレンス・ストロールは、次のように述べています。「アストンマーティンの名前がF1™に復活し、カラフルでダイナミックなスポーツの歴史に再びその名を刻むことになりました。英国の偉大なスポーツカー・ブランドで仕事をする私たちにとって、本当にエキサイティングな瞬間が訪れます。」
     
    「F1™世界選手権は、アストンマーティンにふさわしい場所です。そこは、私たちのブランドがいるべき場所でもあり、アストンマーティンのレースの歴史における新たな章は、世界中のアストンマーティン・ファンだけでなく、F1™ファンの方々にとっても、非常にエキサイティングなものになるでしょう。」
     

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  • 7 Oct 2019

    アストンマーティンVantage GTE
    富士6時間耐久レースの予選で、再びポールポジションを獲得

      ニッキー・ティーム/マルコ・ソーレンセン組の95号車は惜しくもポールポジションを逃す アストンマーティン・レーシングは、WEC第2戦の予選でクラス屈指の速さを証明 TF SportのVantage GTEが、WEC2戦目にしてGTE Amクラスのポールポジションを獲得   2019年10月5日、富士スピードウェイ(日本): FIA世界耐久選手権(WEC)第2戦の富士6時間耐久レースの予選が開催され、アストンマーティン・レーシングのニッキー・ティームが、Vantage GTEでクラス最速タイムを記録しました。GTE Amクラスでは、ライバルがペナルティを受けたことにより、TF SportのVantage GTEがポールポジションから明日のレースをスタートします。   ニッキー・ティーム/マルコ・ソーレンセン組の95号車は、GTE Proクラスのポールポジションにはわずかに及びませんでした。昨年の富士でニューマシン初のポールポジションを獲得したこのデンマーク人のコンビは、2019/2020シーズンでも予選ラップの最終セクターまでライバルを抑えていましたが、最後に前を走行するマシンに阻まれてタイムを落としてしまいます。それでも、ソーレンセンとティームの平均タイムにより、95号車のVantage GTEは予選3番手を獲得しました。チームメイトのマキシム・マルタン(ベルギー)/アレックス・リン(英)組は、97号車の姉妹マシンで予選5番手につけました。   「今日の予選では、ポールポジションのマシンと遜色ないタイムを出すことができました。最後に不運な展開があってポールを逃してしまいましたが、プラクティス全体のペースは非常に良いので、明日のレースは期待できると思います。」と、ソーレンセンはコメントしています。   また、ティームは、次のように付け加えています。「久しぶりにファステストラップを記録することができたので、素晴らしい気分です。マシンの状態も非常に良く、明日のレースが楽しみです。世界耐久選手権は私のお気に入りのシリーズで、GT選手権の頂点に君臨するレースだと思っています。私たちには、レースを戦うことができる、素晴らしいマシンを持っています。明日は、昨年の借りを返したいと思っています。」   アストンマーティン・レーシングのマネージング・ディレクターを務めるジョン・ガウは、次のように述べています。「GTE [...]
  • 7 Oct 2019

    アストンマーティンVantage GTEが、
    富士6時間耐久レースのGTE Pro/Amクラスでダブル優勝

    ​ アストンマーティン・レーシングが、Vantage GTEでWECシーズン初優勝 アストンマーティンVantage GTEにとってWEC初のダブル・クラス優勝 チームメイトも3位でフィニッシュし、Vantage初のダブル表彰台を獲得 TF SportもGTE Amクラスで待望のWEC初勝利を達成   2019年10月6日、富士スピードウェイ(日本): FIA世界耐久選手権(WEC)第2戦の富士6時間耐久レースが開催され、アストンマーティンVantage GTEが、GTE ProクラスとAmクラスの両方で初のダブル・クラス優勝を成し遂げました。アストンマーティンにとって、ダブル・クラス優勝を挙げたのは、2016年のメキシコ以来です。   95号車のアストンマーティンVantage GTE Proマシンのステアリングを握る、マルコ・ソーレンセン/ニッキー・ティーム組は、完璧な判断とパフォーマンスで、2019-2020シーズン初勝利を挙げました。Vantage GTEにとっては、このニューマシンが2018年5月に投入されて以来、2勝目となります。一方、GTE [...]
  • 22 Feb 2019

    アストンマーティン、新型 Vantage GT3 で日本のスーパー GT に参戦

    パートナー・チームの D’station Racing AMR がスーパーGT 300 クラスに出場 ドライバーの藤井誠暢とジョアオ・パオロ・デ・オリベイラが、ダレン・ターナーとトリオを組んで富士 500 マイル・レースに出場 アストンマーティンが Vantage [...]
  • 7 Dec 2018

    アストンマーティンVantage GTEがWEC上海6時間レースで初優勝

    アストンマーティンVantage GTEがWEC第5戦の上海で初優勝を飾る  マルコ・ソーレンセンとニッキー・ティーム組が2017年のメキシコ6時間レース以来の勝利  GTE Amクラスでは、アストンマーティン・レーシングがポイント・リーダーに迫る 2018年11月18日、上海: FIA世界耐久選手権(WEC)第5戦の上海6時間レースが開催され、アストンマーティン・レーシングの新型Vantage GTEが初優勝を飾りました。波乱の展開となったこのレースで、デンマーク人ドライバーのニッキー・ティーム/マルコ・ソーレンセン組の95号車が、完璧な判断を下してこのレースを制しました。2016年のFIA WEC GTE Proクラスで総合優勝を果たしているこのコンビは、降り続く豪雨により5回もセーフティカーが導入され、2回にわたって赤旗中断(合計90分間)されたこのレースで、巧みにレースをコントロールしてチームに勝利をもたらしました。 GTE Proクラスに参戦したアストンマーティン・レーシングの95号車と97号車は、厳しいコンディションが続く中で1-2体制を築き、一時はマキシム・マルタン(ベルギー)/アレック ス・リン(英国)組の97号車がトップを走行する場面もありました。レース終了1時間前までは、1-2フィニッシュによる完全優勝を収めるチャンスも残されていました。しかし、チームは、レース序盤の時点で、優勝の可能性を最大限に高めるため、この2台に異なる戦略を採用することを決定していました。この戦略に基づき、97号車は、最終スティントで95号車よりも早いタイミングで最後のウェット・タイヤに交換します。しかし、タイヤのグリップが低下したレース終盤に雨が強まった影響によりポジションを落とし、97号車は最終的に4位でチェッカーを受けました。 レースが終盤に向かうにつれ、天候と視界が悪化してコンディションがますます不安定になる中、優勝の可能性は95号車に絞られることになります。ティームは、レース中盤のスティントでいつも通りのハードな走りでレースの主導権を握り、ソーレンセンにステアリングを引き継ぎます。ソーレンセンは、レース終了直前に導入されたセーフティカーによって、ライバルとのタイム差がほとんどなくなるという大きなプレッシャーを受けながらも、冷静な走りで歴史的勝利を収めました。 「本当に長く、そして非常に難しいコンディションのレースでした。」と、ソーレンセンはレース後にコメントしています。「ニューマシンで最初の勝利を挙げることができて、最高に嬉しいです。まるで総合優勝をかけて戦っているかのように、全力で走りました!チームがハードワークを続けてくれたおかげです。“スーパーシーズン”序盤は苦しい展開でしたが、2018年最後のレースを勝利で締めくくることができて、素晴らしい気分です。来年開催される次戦のセブリングまでに、マシンをさらに熟成することに集中します。」 ティームは、次のように語っています。「新型Vantage [...]
  • 21 Nov 2017

    2018アストンマーティン・レーシングVantage GTE

    < >年の世界耐久選手権(WEC)へ参戦するため、新型Vantageロードカーをベースにアストンマーティン・レーシングが製作< >Vantageロードカーと平行して開発< >2回の30時間の連続走行テストを含めた13,000kmの走行試験をすでに完了< >< >AMRドライバーが開発に参加      2017年11月21日、ロンドン: アストンマーティンは本日、ブランド史上最高の販売台数を記録したモデルの後継車、新型Vantageを初公開しました。さらに本日、アストンマーティン・レーシング(AMR)から、新しいレースモデルとなるVantage GTEも発表しました。これは、AMRのチーム史上最も華々しい成功を収めたモデルとして、ル・マン24時間でも複数のクラス優勝を遂げたV8 Vantage GTEに代わり、今後FIA世界耐久選手権(WEC)を戦うことになるクルマです。   FIAにより厳密に規定されたGTEクラスのレギュレーションに従って設計された新しいVantage GTEは、パワートレイン、シャシー、エアロダイナミクスを徹底して最適化することで、ロードカーである新型Vantageのデザインと運動性能を、かつてない高いレベルにまで昇華させました。英国バンバリーにあるアストンマーティン・レーシングの本拠地で進められている開発プロジェクトのリーダーには、従来のV8 [...]
  • 30 May 2017

    Vantage GT8がニュルブルクリンク24時間レースのSP8クラスで優勝

    アストンマーティンVantage GT8が2017年ADACニュルブルクリンク24時間レースのSP8クラスを制す量産車にごく近いスペックのVantage GT8は、総合でもトップ20に迫る順位でフィニッシュ7号車のアストンマーティンは24時間をノートラブルで走破 2017年5月28日、ニュルブルクリンク(ドイツ):アストンマーティン・レーシングは、終盤に大雨に見舞われてドラマティックなフィナーレとなった2017年ADACニュルブルクリンク24時間レースにおいて、隙のない完璧なパフォーマンスを披露、圧倒的な強さでSP8カテゴリーを制しました。 7号車のアストンマーティンVantage GT8は、SP8クラスの大半をリードしただけでなく、メトロノームのような正確さでラップを刻み、夜のとばりが降りてからは上位スペックのGT3マシンと互角の走りを見せて、一貫してトップ30圏内を走行しました。 市販車に近いSP8スペックのVantage GT8には、革命的なネクスセル(Nexcel)アクティブ・オイル・マネージメント・システムが採用されています。レースがフィナーレに近づくと大雨に見舞われ、全長20.832kmのノルドシュライフェ全域が雨に呑まれました。それまでのチームの努力が一瞬にして水泡に帰してしまう危険の中、最後のスティントを受け持ったアストンマーティン・ファクトリードライバーのダレン・ターナー(英国)は、持てる経験とスキルを最大限に発揮して、Vantage GT8を冷静にチェッカーに導きました。 チーム代表のデイビッド・キングとターナーは、後続マシンに対するアドバンテージを見て、ピットインしてポジションを落とすリスクを避けて、総合21位でチェッカーを受ける決断を下しました。 レース後、ターナーは次のようにコメントしました。「ノルドシュライフェで大雨が降ったとしても、本当に影響を受けるのはサーキット全体の1/3程度です。タイヤ交換を決断するのは、コース全域がウェットになった時です。クラスのライバルとは大きな差があったので、あのタイミングでピットに入ってタイヤ交換をする必要はないと判断しました。昨年はチェッカーまで数時間のところまでクラス首位を走っていました。今年はこのマシンにふさわしいリザルトを獲得しようと強く意識していました。ノルドシュライフェでの勝利は格別です。ここでは、他のマシンよりも、サーキット自体や自然環境が手強いライバルです。特に市販車に近いスペックで走るのは厳しいサーキットです。この戦いを生き延びて、しかも勝利を収めたのは、Vantage GT8の作りの良さと高いクオリティの証明です。」 FIA世界耐久選手権(WEC)ディフェンディング・チャンピオンのニッキー・ティーム(デンマーク)は、大好きなサーキットでSP8クラスを制したことに歓びを隠せないようです。「すごいイベントでした。そして途轍もないリザルトです。24時間ドライのままの方が珍しいサーキットなので、終盤の雨は驚きではありませんでした。それに、ダレンならば大丈夫と信じていました。週末を通じて、マシンは一貫してドライブしやすかったです。本当に素晴らしい結果で、チームとスタッフ全員に感謝します。」 ターナーとティームに加えて、ピーター・ケイト(英国)、ノルドシュライフェ・レギュラーと呼ぶべきマルクス・ルングストラッセ(ドイツ)がカルテットを組んで、マシンをチェッカーに導きました。ケイトとルングストラッセは、ドライブが難しいナイトセッションで、ともに2度のスティントを担当しました。ケイトは、次のようにVantage GT8のパフォーマンスを賞賛しています。「驚異的なマシンです。昨年の段階で戦闘力があることはわかっていました。今年は実戦でそれを証明した格好です。また、ダレンとニッキーがいれば鬼に金棒です。マシンをどうやってセットアップし、セットアップをどう煮詰めて行くか、彼らなら完全にわかっています。市販車に多少の改造を施しただけのクルマで総合21位というのは驚異的なリザルトです。」 ルングストラッセは、次のようにつけ加えています。「素晴らしいマシンでした。ドライブもしやすかったです。今回はダレンやニッキーのようなWECレギュラーと一緒に走って、多くを学ぶことができました。個人的にはそれが最大の収穫です。まさに夢が叶った気分です。デイビッドにドライブの機会をもらったことを誇りに思います。本当に素晴らしい経験でした。」 アストンマーティン・レーシング社長のデイビッド・キングは、次のようにコメントしています。「あと1ラップすればチェッカーというタイミングで、ライバルマシンがピットに入ってきたので、もう絶対に彼らは我々に追いつけないと確信しました。それで、そのまま走らせました。あの戦術がうまく行きました。ダレンは機械のように冷静に仕事をしてくれました。非常に難しいコンディションにもかかわらず、まったく隙のないレースができたのは賞賛に値するでしょう。ハードで、目まぐるしいほど速く、タフなレースでした。マシンは我々のニーズに完璧に応えました。走りは完璧でした。ドライバー陣も素晴らしい仕事をしてくれました。4人揃って実力を発揮してくれました。ふたりはプロフェッショナルと呼ぶにふさわしく、残りのふたりは今、トップドライバーの領域に入ろうとしています。チームスタッフの仕事ぶりにも誇りを覚えます。偉業と言っても良いでしょう。総合優勝と何ら変わるところはありません。Vantage GT8はGT3マシンではありません。V8エンジン、ギアボックス、そしてエレクトロニクスは、すべて標準仕様です。そのクルマがクラス優勝を勝ち取ったのですから、Vantageの素性の良さが改めて確認された、と言って差し支えないでしょう。」 本リリースの画像は下記よりダウンロード可能です。https://we.tl/0PFyDziqU8 
  • 15 Mar 2017

    アストンマーティン・レーシングのウイング・エンブレムが入手可能に

    アストンマーティン・レーシングのレプリカ・ウイング・コレクションを数量限定で販売2016 FIA世界耐久選手権を記念してハンドクラフトされた9つのウイング・エンブレム各コレクションのケースにはシリアルナンバーを刻印、希望小売価格は3,750ポンドビデオ:Aston Martin YouTubeアストンマーティンは、モータースポーツ・ファンに向けて、究極のコレクターズ・アイテムを発表します。2016 FIA世界耐久選手権(WEC)に参戦したV8 Vantage GTEに装着されているウイング・エンブレムを、数量限定で販売します。世界限定250セットのみが販売されるこのエンブレムは、各コレクションがフレームに収められ、合計9つの「WEC」ウイング・エンブレムはホワイトの台座に取り付けられています。また、その希少性をさらに高めるため、ケースにはシリアルナンバーが刻印されています。アストンマーティン・レーシングは、ナショナル・カラーを纏ったレースカーにて2016年シーズンを戦いました。このレースカーに装着されているエンブレムは、バーミンガムの世界的に有名なジュエリー・クォーターで名声を確立しているクラフト・メーカーのVaughtonsによってハンドメイドされています。エナメル塗装が施されたエンブレムを1つ製作するには合計で20時間が費やされ、最先端のCAD装置と、その歴史を120年以上も遡ることができる、年代物のジュエリー・マシンを使用して製作されています。2016年のWECシーズンは、11月19日(日)にバーレーンで開催される第9戦でフィナーレを迎えます。アストンマーティン・レーシングは、全てのGT部門で過酷なタイトル争いを繰り広げています。95号車のV8 Vantage GTEを駆るマルコ・ソーレンセン/ニッキー・ティーム(共にデンマーク)組は、GTドライバーおよびGTE Proクラスで現在首位に立っています。また、アストンマーティン・レーシングは、GTマニュファクチャラー部門のチャンピオンシップをかけて最終戦に臨みます。ウイング・エンブレムの希望小売価格は、3,750ポンドです。注文は、ウェブサイト(Aston [...]
  • 16 Oct 2016

    アストンマーティン・レーシング、WEC富士6時間レースで優勝

    98号車のV8 Vantage GTEがポール・トゥ・ウィンでクラス優勝95号車のティーム&ソーレンセン組はGTE Proクラスのドライバー/チーム部門のチャンピオンシップ首位の座をキープ残り2戦となる中、総合優勝に向けて良好なポジションを維持2016年10月16日、富士(日本):WEC世界耐久選手権第7戦の富士6時間レースが開催され、アストンマーティン・レーシング98号車のV8 Vantage GTEが、GTE Amクラスにおいて見事なポール・トゥ・ウィンを達成しました。ポール・ポジションからスタートしたペドロ・ラミー(ポルトガル)は、オープニングラップで首位をキープすると、そのまま後続マシンとのリードを拡大。ポール・ダラ・ラナ(カナダ)とマティアス・ラウダ(オーストリア)も最初のスティントを確実にこなし、3時間経過時点で2番手との差を1周以上に広げました。アストンマーティン・レーシングは、第6戦のオースティンでも優勝しており、GTE Amクラスでは、2大会連続でポール・トゥ・ウィンを成し遂げたことになります。さらに重要なことは、今回の勝利によってGTE Amクラスのポイント・リーダーとの差を33に詰めることができたことです。残り2戦で、最大52ポイントを獲得できるため、総合優勝の可能性がまだ残されています。ペドロ・ラミーは、次のようにコメントしています。「最後までハードにプッシュしようと思いました。マシンも、最後のスティントまで素晴らしい状態を保っていました。とにかく後続マシンとの差を保つことに集中して走りました。今回勝利できたことはチャンピオンシップにとって素晴らしいことですが、GTマニュファクチャラー部門で、あと数ポイント、リーダーに届かなかったことは残念です。これからも1戦1戦集中して、残り2ラウンドでベストを尽くします」ポール・ダラ・ラナは、次のようにコメントしています。「富士では、これまであと少しのところで勝利できなかったので、今回表彰台の中央に立ててとても嬉しいです。タフなレースになりましたが、最後には後続マシンにかなり差をつけることができました。83号車にペナルティがなかったら、最終ラップで厳しいバトルになっていたでしょう。今回はミスをしないことが重要でしたが、皆その通りにやってのけました。チーム一丸となっての勝利です」マティアス・ラウダは、次のように付け加えています。「オースティンに続いて、2連勝することができました。クリーンなレースをして、ピットストップも完璧でした。マシンも素晴らしく、スティント全体を通して非常に楽に走行することができました。フェラーリがドライブスルー・ペナルティを受けたのは幸運でしたが、我々はコンスタントなペースで周回を重ねていたので、もしそれがなくても優勝できていたと思います。また表彰台に立てて嬉しいです」GTE Proクラスでは、ニッキー・ティーム/マルコ・ソーレンセン(共にデンマーク)組の95号車が5位、ダレン・ターナー(英)/リッチー・スタナウェイ(ニュージーランド)組の97号車が6位でフィニッシュし、チャンピオンシップ・リーダーの座を堅持。第7戦終了時点で、ニッキー・ティームとマルコ・ソーレンセンは、GTE [...]